凪は上白糖になりたい。

薄給教員。鬱病患者。日々のこころの記録をします。Twitter→@naginatto710

お薬は偉大

お薬は偉大だ。

こんなちいさな一粒で、

私を救ってくれるんだから。

 

大切な人に拒絶されるということは

これほどまでに傷つくことなんだね

 

またひとつ

私の存在が薄くなった

 

向こう側が透けて見えるようだ

 

なんのために生きる?

見失ってしまう

 

消えてしまいそうだ

 

私を救うのは人間じゃない

いつだって お薬なんだ

暴飲暴食

ストレスで暴飲暴食してしまう、って人、いるじゃない?

 

私には今までそんな経験なかったから、

正直「ただ単に甘いもの食べたいのをストレス言い訳にしてるだけだろ〜」とか思ってました。

 

最近になってわかりました。

ストレスで暴飲暴食に走ることって、やっぱりあるんですね。

 

いつだって食べていたい。

おなかいっぱいでも食べていたい。

食べすぎてお腹の調子こわして、それでも食べていたい。

 

仕事のストレス募って、いつだってイライラしてる。

きっと食べる以外で発散すべきなんだろうと思ってても。

「食べたい」。いつもその思いしかない。

 

結果、太りました。

怖くて体重計乗ってないけど、

お腹周りが明らかに大きくなってる。

ベルトの穴が、いままでの穴だとちょっと苦しい。

 

これは転職したら変わるのか?

それとも仕事してる限り変わらないのか?

 

身体中を駆け巡るストレスと戦いながら、悶々と考えてる。

お国のために

おはようございます。

現在目を覚まし、ベッドの上。

 

心が漬物石入ってるみたいに重い。

ごろごろ。

 

 

昨日は頭が痛くて、

残ってた仕事切り上げて早めに退勤してしまった。

 

頭に血が全然回ってない感覚がするとき、ありませんか。

頭を下げると、じゅわーっと血が巡って気持ちいい。そんなとき、ない?

 

貧血?低血圧?

ググってもようわからんでした。

 

 

体調わるいと心も荒みます。

人肌恋しくて仕方なくて。

寂しくて寂しくて。

なんでこんなひとりぼっちなんだろうとか思って。

 

けど、消えてしまいたいとは思わない。

その分病気の方も快方に向かってるってことだろう。

 

でも、この命、

なにかのために使っちゃいたいとも思う。

自分がやりたいことなんてない。

人のために使っておしまいにしよう。

 

いまの私には捨てられないものがある。恋人だ。

なにをするにも恋人ファースト。

だから就活も、東京で働ける仕事限定でやってるわけ。

 

けど、もし恋人を失ったら。

私は国を守るために戦いたい。この命を使いたい。

そう、自衛隊

なくてはならない存在でしょ、日本に。

 

まずは防衛大学校に入りたいな。

 

これはただの夢物語。

年齢制限とか、あるんだろうか…。

ON期とOFF期

私には、ON期とOFF期がある。

 

ON期にはなんでもできる。

仕事も捗る。

家事ももってこい。

晴れた休日にはジョギングなんかも。

節約のためにバスを避けて自転車で遠くまで行っちゃう。

 

OFF期には、なーーーーんにもできない。

 

仕事は捗らない。

無駄に時間かけてもほとんど進まない。

化粧もコンタクトもせずに出勤。

家事も全ストップ。

料理できないから全部コンビニ飯。

祖母にもらった食材が、冷蔵庫の中で腐っていく。

洗濯機回しては放置。回しては放置。よくカビ生えないな。

どんなに晴れててもすぐにバスに乗る。交通費がかさむ。

風呂も2日に1回。増えていくニキビ。

脱ぎ散らかした服で床が埋まっていく。

 

おとといまで、絶賛OFF期でした。

昨日からONになってる。

いまのうちにできること、やっとかなきゃ。

 

まずはシンクに溜まった洗い物を片付けて。

明日の朝ごはんの準備だ。

無意識男尊女卑。

2,3年前のことであろうか。

 

母方の祖父の一回忌だった。

喪服を着て親戚が一堂に会した。

墓前でひととおりいろいろなあれこれ()を終えたあと、

故人の妻、つまり母方の祖母の奢りで

みんなでお昼ご飯を食べに行った。

 

私は超級に酒が弱い。

しかし呑むこと自体は好きだ。

量が飲めないだけで。

 

たまたま私の周囲に座った親戚の方々がみんな生ビールを頼んだ。

「凪ちゃんも飲みなよ、遠慮しないで」

そんな風に言われて、私も飲んでみようかという気になった。

 

そして私はやはりすぐに酔っ払った。

 

けれど、どうしてもその一杯だけは飲みきりたかった。

一杯まではだいたいいけることが多いのだ。

それにそれは祖母の奢りなのだ。無駄にしたくなかった。

 

私は飲んだ。がんばって飲んだ。

でも、3分の2くらいまで飲んだところでさすがにもう無理だと思って、

残りを父に飲んでもらった。

祖母には申し訳ない。

 

母が運転席に座る車に乗り込みながら、

ああ、まずいな、相当に酔ってるな、なんて考えていた。

残すのが申し訳ない、そんな気持ちが先行して、

自分の酔っ払い具合を少し無視して飲みすぎてしまった。

 

そして私は、高速道路を走る車内で、ぐーすか寝た。

 

そして、唐突に起きた。

尿意を催した。

「トイレ」と一言発すると、

「ちょうどすぐにサービスエリアがあるわよ」と母が答えた。

 

タイミングが良い。

すぐに車はSA入り口に入った。

 

ところが私は、急速に気持ちが悪くなってきた。

眠りから覚めて気持ち悪さを認識してしまったのか。

あ、これ、吐いてしまう。

そう直感した。

 

車がSA入り口に入ってからSAに到着するまでの間の時間すら待てず、私は自分の喪服の上に吐いてしまった。

 

私が吐いたことに気づいた父が大騒ぎしていた。

車を汚されたくなかったのだ。

 

父は昔からそうだった。

幼少時、車酔いした私が窓から外に吐いてしまったとき。

母は私の背中をさすってくれた。

しかし父が母のそれを止めた。

「やめて!車が汚れるから!」

 

幸い私は優秀な防衛本能で、喪服は汚しても車は汚さないようにしていた。

そのあとSAのトイレでしばらく休み、

体調が落ち着いてから車に戻って、

迷惑と心配をかけたことをみなに謝罪した。

 

その後の車内で父に怒られた。

「ああいう場ではあなたは自重しなさい。〇〇ちゃんも△△ちゃんも(2人とも私の従姉妹♀)飲んでなかっただろう。お母さんも◻︎◻︎さん(母方の伯母)も飲んでないだろう」

 

私に反論はできなかった。だって車内で吐いてしまったのだから。

 

けれど違和感を覚えた。

たしかに2人の女性の従姉妹は飲んでいなかった。

しかし1人、男性の従兄弟は飲んでいた。

母は飲まなかったが、父は飲んだ。

伯母は飲まなかったが、伯母の旦那さんは飲んだ。

 

つまり、「女は飲むな」ということなのだ。

男は飲みながら、仕事の話をする。社会の話をする。

女は飲まずに、男同士の宴会が円滑にまわるように、サポートをするのだ。

女は男と一緒に仕事の話に混ざることは許されないのだ。

そして運転は当然女性なのだ。母であり、伯母なのだ。

 

「男女平等」。こんな文言がいろいろなところで謳われるようになって久しいが、

コミュニケーションの場においては未だに男尊女卑が当たり前。

正月なんかも、準備は全部女性、そんな中男性だけ先に飲み始めてる。

 

いや、もしかしたらうちの家系が男尊女卑激しいだけかもしれないけれど。

 

どうしてこんなことを思い出したかというと。

 

先日、父方の祖父が亡くなった。

それで今日、告別式があった。

 

従兄弟(♂)は飲んだ。

飲んで、親戚のおじさんと仕事の話を弾ませていた。

私は飲まなかった。

母も、伯父の奥さんも飲まなかった。

 

私も仕事の話に入りたかった。

これはただ単純に私の話術が足りないだけなのだが、

なかなか私は話に入ることができず、

隣に座った高校生の妹と小さな声で話していた。

 

帰り道、母の運転する車内で私は思った。

やはり少しだけ飲んでおけば、もうちょっと饒舌になれたのではないか、と。

アルコールはコミュニケーションツールだ。素面よりは話しやすくなる、お酒を飲んだことのある人ならその感覚はわかってもらえるだろう。

 

それで、思ったことをそのまま言ってみた。

「やっぱり私、ちょっとでもいいから飲まないと、なかなか話せないなー」

すると父が一言。「は?」

 

そこで私は思い出した。

父は「男尊女卑主義者」だったと。

 

女のくせに飲めばよかったとは何事だ。

女は話なんかできなくたっていいんだ。

父の中にはそういう価値観が、大前提としてあるのだと。

 

やっかいなのは、父の中には

「自分が男尊女卑をしている」という自覚が

おそらくないだろうということだ。

本当にタチが悪い。

 

父には息子がいない。

いるのは私と妹だけだ。

子供は娘2人しかいないのに、女性しかいないのに

大事な大事な2人の子供が、2人とも無意識下で蔑まれて

それでいいんですね?いいんですね。

 

 

 

ふざけんな。

しんどみがすごい

しんどい。

 

忙しさ極まってる。

仕事も立て込んでるし

貴重な休日は毎週就活で潰れるし

祝日はお葬式が入ってしまって…こればっかりは仕方ないが……

 

もう1ヶ月動き通し。

予定のない日がない

しんどいきついキビシー

あああああぁん

 

そんなこんなで余裕がない。

 

ちょうどいま恋人も忙しい時期に入ってる。

最近電話するとほぼ必ず険悪な雰囲気になってしまう…、きっと双方余裕がなくて思いやれないからだと思う。

 

余裕のなさは人間関係の悪化につながる…

よくないことだ。

 

「世界を呪って生きている」

「輝く世界が見たい」

「そのためにカウンセリングに行きたい」

とか言ってたけども。

単純に休みが足りないだけ説。

 

休み、大切ですね。

世界の輝きを見たい

最近は、世界を呪って生きている。

 

なにもかもが嫌い。

人間も、仕事も、家事も、食事すら面倒になる。

なんて汚い世の中なんだろう。

 

世界って、もっとキラキラしたものじゃなかったっけ?

 

「好きなものがない」世の中じゃ、

なにもかも呪って当たり前なのかもしれない。

アダルトチルドレン 、無関係とは思えない。趣味がない、これは辛いことだ。

 

転職が成功したら、4月からは身入りがよくなる予定。

そしたら、5ケタの金払ってカウンセリングに行こうと思ってる。

 

もっと輝く世界が見たい。

愛に溢れた世界を生きたい。

日記、再開します。

USBの中身が雑然としていたから、ちゃんとフォルダーで分けて整理することにした。

 

そうしたら、大学1年生のときに書いたレポートが出てきて、思わず読んでしまった。

部屋の片付けをしてたら懐かしいアルバムが出てきて見入ってしまって肝心の片付けが進まない、あの現象とおんなじです。

 

大学1年の時の私ってこんなこと考えてたんだなって、びっくりした。

すっかり忘れてしまった記憶、感情。

あの時なりたくなかった大人に、いま自分がなってしまったということに気づかされて愕然とした。

 

その時の考えや感情を記録するって、すてきなことだ。

 

私はいろんな気持ちを吐いては捨ててきた。

 

中学生の時書いた紙の日記は資源ごみへ。

小説は全データを消去。

Twitterはアカウントを作っては消し、作っては消しで

Twitter歴はけっこう長いのに、アカウントが若すぎる。

Facebookも主要な記事は全削除した。

 

なんてもったいない。

 

昔の自分がなにを考えてたのか、

思い出す方法が少なすぎる。

 

だから、はてなブログ

再開することにしました。

大したことは書きません。ただ、思ったことをつらつらと。

 

最後に。

レポート読み漁ってて気づいたことがもう一つ。

 

あの時はあんなに英語書けてたんだな…

挫折の中のあなたへ

「昔の自分を取り戻したいって思ってる」。

 

今期やっている『はるかなレシーブ』というアニメの第3話のサブタイトルである。

 

はるかなレシーブ』は、女子高生達がビーチバレーをする物語だ。

サブタイトルは3話内の、登場人物の1人"かなた"が口にするセリフ。

 

かなたは過去にビーチバレー全国優勝をした経験をもつ。

しかしその後、あることがきっかけでビーチバレーから逃げ、距離を置いてしまう。

 

「昔の自分を取り戻したいって思ってる」は、そんなかなたが、前向きにビーチバレーと向き合っていた過去の自分に戻りたいという意味で言った言葉だ。

 

 

ときに、人は人生で三度の挫折をするらしい。

かなたにとってビーチバレーから逃げてしまった経験は挫折とカウントされるのであろう。

 

人がなにかしらの輝かしい結果を残し、そのあと大きなスランプ、挫折を経験する。

よくある話ではないだろうか。

これを読んでいるあなたも、身に覚えがあるのではないだろうか。

まだ挫折の経験のない人は、有名なスポーツ選手を想像して考えてみて欲しい。

例えばジュニア時代に輝かしい成功を連発し、次第に結果を残せなくなっていき、表舞台から去っていく選手。

ごろごろいるだろう。

 

私は三度の挫折のうち、最初の一つを経験済みだと自分では思っている。

挫折真っ只中、苦しみ真っ只中で考えたことはやはり、「昔の自分を取り戻したい」。

かなたのセリフと全く同じことだ。

 

「あの頃はどうしてうまくやれていたのだろう」

「あの頃はどうやっていたのだろう」

思い出そうとして、同じようにやろうとして、

それでもやっぱりできない。

 

当たり前だ。時の流れは遡れない。

昔とは、自分も、環境も、なにもかも変わってしまっているのだ。

同じようにやろうとしてうまくいくわけがない。

 

人が挫折から抜け出し、また前を向いて歩けるようになったとき。

それは「昔の自分を取り戻した」のではないのだ。

やはりあくまで「自分をアップデートした」のだ。

言ってみれば、昔の自分よりさらに上の自分になったということ。

成長、という言葉がしっくりくるかもしれない。

 

「挫折が人を強くする」とはよく言ったものである。

挫折を経験する前までは、これは美談、建前、綺麗事だと思っていたが、これは真実だ。

挫折の中、苦しみの中にいるあなたは、

この苦しみの期間を乗り越えたとき、必ず、新しい素敵なあなたになっている。

自分をアップデートしよう。生まれ変わろう。

 

 

はるかなレシーブ』4話以降、

かなたは前向きにビーチバレーと向き合えているようだ。

かなたはかなたなりにアップデートしたのだと、私は考えている。

些細な勇気

先日、目の見えない方が、杖を持って歩いていた。

 

のだが、電柱に向かって必死に杖を伸ばしており、どちらへ進めばいいかわからない様子だった。

 

声をかけた方がいい、と強く思った。

あの方は確実に困っている。目的地を聞いて、それならこっちですよと体の向きを変えてあげるべきだと。

 

しかしここで葛藤してしまった。

勇気が出なかったのである。

 

おかしなことだ。

人に声をかけるのに、しかも善意で声をかけるのに、なぜ勇気を振り絞らなければならないのだろう。

心の構造は不可解だ。日本人特有のものなのかあるいは。

 

あの人もきっと、少し電柱に引っかかっているだけだ。

きっとそんなこと、あの人にとっては日常茶飯事なことで、すぐに体制を立て直して歩き出すに違いない、きっとそうだ。

 

心の中でそんな言い訳をしながら。

 

そんなこんなで、葛藤している間に私の足は一定の速度でその方の横を通り過ぎてしまった。

 

「どちらへ行かれるんですか」

 

後ろから声が聞こえた。

振り返ってみると、私の後ろを歩いていた女性が、その方に声をかけていた。

 

「駅へ行きたいんです」

「駅ならこっちですよ」

 

前へ向き直ってすたすたと歩きながらこんな会話を聞いた。

 

私ができなかったことを、あの女性はやった。

 

次に同じような機会があったら、必ず私はあの女性のように声をかけよう。

勇気。些細な勇気だ。